「やっと、本当のわたしを分かってくれる人に出会えた気がした」
「こんなに優しくしてくれる人は、今までいなかった」
「この人を逃したら、もう誰にも必要とされない気がする」
そんなふうに、誰かの優しさに一気に心を明け渡してしまう。
そして気づくと、いつも同じように傷ついて、ひとりに戻っている。
もし、それを何度も繰り返してきたのなら。
その繰り返しには、あなたの幼少期が関係しているかもしれません。
「優しい人だと思ったのに」が、なぜ繰り返されるのか
最初は、本当に理想の人に見えた。
親身に話を聞いてくれて、誰よりも自分を分かってくれて、弱った心にそっと寄り添ってくれた。
それなのに、ある時から、その優しさが少しずつ消えていった。
加害者臨床の専門家ランディ・バンクロフトは、長年の現場から、こう指摘しています。
「ほとんどの加害者は、加害者には見えない」
むしろ最初は魅力的で、周りからの評判もいい人が多いのです。
人を支配したい人ほど、入口ではとびきり優しく振る舞います。
怒鳴る人や、あからさまに支配してくる人より、ずっと見抜きにくい。
「優しさ」そのものが、相手の心に入り込むための手口になっていることがあるのです。
しおれちゃん
いちばん見抜きにくいんだよね…。
なぜ“甘い言葉”を、本気にしてしまうのか
同じ甘い言葉でも、さらりと受け流せる人もいれば、心の奥まで深く刺さってしまう人もいます。
その違いは、あなたの弱さではありません。
子どもの頃に、何を受け取れなかったか、の違いです。
毒親のもとで育つと、「あなたは特別だよ」「あなたのことを分かってるよ」という言葉を、ほとんどもらえないまま大人になります。
だから心のどこかが、その言葉にずっと飢えたままになっている。
飢えているのは、「普通の愛」ではありません。
「やっと、見つけてもらえた」という感覚です。
誰かにちゃんと名前を呼んでもらえた、ようやく自分の居場所ができた、その感覚に飢えている。
だから、「君は特別だ」「俺には君しかいない」という言葉が届いた瞬間、
冷静に相手を見極める前に、心のほうが先に明け渡されてしまうのです。
ねっこさん
初めてだったんだ。だから、信じてしまった…。
これは、あなたが愚かだからでも、依存的だからでもありません。
子どもの頃に当たり前に満たされるはずだったものを、満たされないまま生きてきた。
その渇きに、相手の言葉がぴたりとはまっただけなのです。
それは「愛」ではなく、「供給」かもしれない
ここで、少しだけつらい話をします。
あなたを「特別だ」と持ち上げる人の中には、本当にあなたを大切に思っている人もいます。
でも、なかには、あなたの優しさや尽くす心を、自分を満たすための燃料として使っているだけの人もいます。
そういう人は、弱った人を見つけると、不思議なほど素早く動きます。
「相談に乗るよ」「いつでも連絡して」「ひとりで抱えないで」と、まるで救世主のように近づいてくる。
そして、相手が心を開いて尽くしてくれるようになると、用が済んだとばかりに興味を失って、また次の誰かを探しはじめる。
その人にとって、あなたは「向き合う相手」ではなく、「都合のいい供給源」になっている。
適当に褒めて、懐に入って、めんどうになったら突き放す。
その繰り返しの一部に、知らないうちに組み込まれてしまっていることがあるのです。
ただ、ここは、慎重に判断する必要があります。
必ずしも「優しくしてくれる人=危険」とは限りません。
世の中には、本物の優しさを持った人も、ちゃんといます。
問題は優しさそのものではなく、その優しさの「目的」がどこにあるか、なのです。
本物の優しさかどうか、ひとつだけ確かめる方法
その優しさが本物か、それとも手玉に取るためのものか。
見分ける手がかりは、いくつもあります。
でも、もし、ひとつだけ覚えておくとしたら、これです。
あなたが「ノー」を出したとき、相手の態度が変わるかどうか。
「今日は会えない」「それは嫌だ」「少し考えたい」
そんな小さな境界線を、あなたが出してみる。
本物の優しさを持った人は、それを尊重してくれます。
でも、あなたを供給源として見ている人は、その瞬間に不機嫌になったり、罪悪感を持たせようとしたり、急に冷たくなったりします。
優しさが本物かどうかは、調子のいいときの甘い言葉ではなく、
あなたが相手の思い通りにならなかったときに、はじめて見えてくるのです。
しおれちゃん
「ノー」を言ったときに出るんだよね。
気づけたあなたは、もう抜け出しはじめている
最初に甘い言葉で一気に満たして、相手の心をつかむ。
この手口には、心理学で「ラブ・ボミング」という名前がついています。
愛情の爆撃、という意味です。
名前がつくと、少しだけ、見え方が変わるかもしれません。
「わたしが弱かったから、また失敗した」と抱えてきたことが、昔からよく知られた“手口”のひとつだったのかもしれない。
そう知るだけで、ずっと握りしめてきた自責が、少しほどけてきませんか?
そして、いまこうして「もしかして」と立ち止まれたこと。
それ自体が、長いあいだ繰り返してきたパターンから、抜け出しはじめている証拠です。
ほとりちゃん
もう変わり始めてるよ。
まとめ
毒親のもとで育った人が、甘い言葉に深く刺さってしまうのは、見る目がないからではありません。
子どもの頃に満たされなかった「やっと見つけてもらえた感覚」への飢えに、相手の言葉がはまってしまうからです。
ただし、世の中には、本物の優しさを持つ人もいます。
見分けるただひとつの手がかりは、あなたが「ノー」を出したときに、相手の態度が変わるかどうか。
「ラブ・ボミング」という名前を知ったこと。
それは、これから先のあなたを、静かに守ってくれる小さな灯りになります。
すぐに変われなくていい。
ただ、「ノーを言ったとき、この人はどうするだろう」。
この問いを、心の隅に置いておいてくださいね。