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モラハラ・DV アダルトチルドレン

兄弟姉妹に「いなくなって欲しい」と思った自分を、ずっと責めてきたあなたへその罪悪感は、もう手放していい

2026.06.09

「実家に帰って会うたびに、理由もわからず疲れ果ててしまう」

「あのきょうだいの機嫌を、家族みんなでずっとうかがってきた」

「『いなくなって欲しい』と思ってしまった/言ってしまった自分を、ずっと許せなかった」

「でも、きょうだいげんかくらいどこの家にもあるはず、と自分に言い聞かせてきた」

もし、こうした気持ちに覚えがあったら。
あなたが長年抱えてきたその罪悪感は、あなたの性格のせいではなかったのかもしれません。

この記事では、家族のなかでもっとも気づかれにくい傷について、心理学の視点からやさしくほどいていきます。

「きょうだいなのに、こう感じる自分はおかしい」と思ってきたあなたへ

兄弟姉妹(きょうだい)に対して、長年、こんな気持ちを抱えてきていませんか?

そして、そんな自分を、「冷たい」「ひどい人間だ」と、何年も、何十年も責めてきたかもしれません。

先に、大切なことを伝えさせてください。

この記事は、あなたのきょうだいを責めるためのものではありません。
誰かを加害者の席に座らせて、糾弾するための場所ではありません。
あなたが握りしめてきた「自分が悪い」という気持ちをそっとゆるめて、あなたが自分自身を許せるようになるための場所です。

もしかしたら、その罪悪感の原因は、あなたが冷たいから生まれたものでも、ひどい人間だから抱いたものでもないのかもしれませんよ。
持って当然の感情だったとしたら、どうでしょうか?

「親との関係には向き合えた。なのに、まだ何かがつらい」と感じるあなたへ

ここまで読み進めてくれたあなたは、これまでも「家族との関係」に、ちゃんと向き合ってきた人かもしれませんね。

たとえば、親との関係を整理してきた人。
機能不全家族・毒親・アダルトチルドレンといった言葉に出会って、自分の傷の正体を見つめ、少しずつ癒してきた人。

それなのに、なぜか……
心の奥に、まだほどけきれない何かが残っている気がする。
そんな感覚はありませんか?

もしその感覚があるなら。
あなたが向き合ってきた家族の傷のなかに、もうひとつの傷が混ざっているのかもしれません。

それが、きょうだいから受けてきた傷です。

親の問題には「毒親」「アダルトチルドレン」という名前があったから、あなたはそれに気づけて、癒すことができた。
でも、きょうだいから受けた傷には、まだ名前がありません。
名前がなかったから、気づけなかった。
そして、気づけなかったから、あなたのなかで重しとなったままずっと残ってきたのです。

それは「きょうだいげんか」では、なかったのかもしれません

きょうだいとのつらさが見過ごされてしまうのは、あなたの感じ方が鈍いからではありません。
気づけないようにできている、いくつかの理由があるのです。

「きょうだいげんか」という言葉で、片付けられてきた

子どもの頃から続いてきた関係だから、まわりの大人はこれを「きょうだいげんか」「仲が悪いだけ」として扱ってしまいます。
親自身もそうやって育てられてきたのでしょう。

「きょうだいなんて、そんなものよ」
「大人になれば、仲良くなるから」
「血が繋がってるんだから、大事にしなさい」

そう言われ続けるうちに、あなた自身も「これはただのけんかで、たいしたことではない」「きょうだいげんかでいちいちこんなに傷ついてる自分が弱いだけだ」と信じこんできたのかもしれません。

名前も、相談先も、まだ整っていない

「親からの虐待」「夫からのモラハラ」「学校でのいじめ」には、社会的な名前があり、相談できる窓口もあります。
でも、きょうだいからの加害には、はっきりした名前がなく、相談できる場所もほとんどありません。

家族のなかで起きる暴力の研究では、きょうだい間の攻撃はもっともありふれた形でありながら、もっとも見過ごされてきたと、古くから指摘されてきました(アメリカの家庭内暴力研究より)。

日本では、きょうだい間の心理的な加害について、その実態を調べた研究すら、まだほとんどありません。
研究が追いついていないのだから、あなたが「自分の感じ方の問題だ」と思ってしまったとしても、無理はないのです。

でも、研究が追いついていないことと、あなたが傷ついていないことは、まったく別の話です。

きょうだいからの傷には、2つの形があります

「きょうだいからの加害」と聞くと、多くの人は、殴る・蹴る・ひどい暴言といった、わかりやすい暴力を思い浮かべます。
そして、それに当てはまらなかった人は、見えない傷を抱えたまま、「うちは、そこまでではなかった」と、見過ごしてきてしまいます。

でも、きょうだいからの傷には、性質の違う2つの形があるのです。

形その1:直接ぶつけてくる

暴言、無視、人格の否定、しつこいからかい、力でねじ伏せる支配。
矢印が、まっすぐあなたに向かってくるタイプです。

これは、比較的「やられた」と気づきやすい形です。
それでも、子どもの頃から日常だったぶん、「これが普通」だと思いこんでしまうことは少なくありません。

形その2:不機嫌で家じゅうを支配する

こちらは、ずっと気づかれにくい形です。

特定のきょうだいが一人、いつも不機嫌で、その機嫌に家族みんなが振り回されている。
その子が不機嫌になると、家じゅうの空気がピリピリする。
だから家族全員が、「あの子を怒らせないように」と、いつも気を張っている。

「あの子はそういう性格だから」
「怒らせると手がつけられないから」
そう言いながら、家族みんなで腫れ物に触るように接してきた。

このとき、つらいのは、矢印があなた一人に向いているわけではないことです。
直接ひどいことをされたわけではない。
だから「自分が傷ついている」とは思えない。
むしろ、「些細なことで疲れる自分が弱いんだ」「気が利かない自分が悪いんだ」と、自分を責める方に倒れていきます。

この構図に聞き覚えはありませんか?
これは、親の顔色をうかがって生きてきたのと、まったく同じ構図です。
違うのは、顔色をうかがう相手が、親ではなく、きょうだいだったということだけ。

その家の空気のなかで、あなたは、自分の気持ちを後回しにする癖を少しずつ身につけてきました。
言いたいことより先に、「いま言って、大丈夫かな」を考える。
自分が何をしたいかより、その場の空気を壊さないことを優先する。
それは、あなたが生き延びるために身につけた、けなげな術だったのです。

しおれちゃん

しおれちゃん

直接いじめられたわけじゃないから、よけいに気づけないんだよね…。

ただのけんかと、何が違うのでしょうか?

ここまで読んで、「でも、どこまでが普通のきょうだいげんかで、どこからが加害なんだろう」と思った方もいるかもしれませんね。
とても大切な問いです。

はっきりさせておきたいのは、すべてのきょうだいげんかが、加害なわけではないということです。
対等にぶつかって、ときにケンカして、また仲直りする。
そうやって育っていく関係は、たくさんあります。
それは、むしろ健やかなことです。

研究では、ただのけんかと加害とを分ける手がかりとして、次の3つが挙げられています。

この3つが、何年も揃っていたのなら。
それはもう、対等な「けんか」ではなかった可能性が高いです。

こんな記憶に心当たりはありませんか?

さきほどの「2つの形」をもう少し具体的にしてみますね。

たとえば、形その1(直接ぶつけてくる)なら。

たとえば、形その2(不機嫌で支配する)なら。

どちらも、傷の形が違うだけで、あなたの心が長いあいだ緊張しつづけてきたことに変わりはありません。

その人は、なぜそうなったのでしょうか?

ここで、知っておいてほしいことがあります。

もしかしたら、そのきょうだい自身も傷ついた子どもだったのかもしれません。
親の不機嫌が上の子にのしかかり、その重さがさらに下の子へと流れていく。
そんな連鎖が、その家にはあったのかもしれません。

でも、DVや虐待の研究では、こう言われています。
つらい生い立ちは、人を加害者にする理由にはならない、と。
同じようにつらい子ども時代を過ごしても、多くの人は、誰かを支配する側にはなりません。

たとえば、直接ぶつけてくる人なら、「強く出れば、相手は逆らえない」ことを知った。
不機嫌で家じゅうを支配する人なら、「一度不機嫌になれば、みんなが従ってくれる」とわかった。
そうした経験を子どもの頃から重ねるうちに、思いどおりにしたいとき、その手を選びとるようになった。
このように、生い立ちのせいではなく、選びとられたやり方だったのかもしれません。

だから、もしそのきょうだいに事情があったとしても、あなたが傷つくことをし続けていい理由にはなりません。

子どもの頃の傷は、大人になっても続いている

海外の長期的な研究では、子どもの頃にきょうだいからのいじめ(力の差があり、繰り返される加害)を受けた人は、大人になってからも、気分の落ち込みや不安、生きづらさと関連しやすいことが示されています。
その影響は、学校でのいじめと同じくらい、心に長く残ることがわかってきています。
しかも、親から受けた傷とはまた別に、独立してあなたに影響していることもあるのです。

ただ、さきほどの「形その2(不機嫌で家じゅうを支配する)」のような傷については、その影響を測った研究は、まだほとんどありません。
名前すら、ついていないのですから。

けれど、研究が追いついていないことと、あなたが傷ついていないことは、別の話です。
測られていないだけで、あなたが長いあいだ感じてきたしんどさは、確かにそこにあったのです。

「いなくなって欲しい」と思った自分を、責めなくていい

力の差があるなかで(歳の差は関係ありません)、長いあいだ、緊張やがまんを強いられてきたら。
その相手から距離を取りたいと願うのは、生き延びるためのごく自然な心の動きです。

「いなくなって欲しい」とまで思ってしまったのは、あなたの性格が歪んでいるからでも、冷たいからでもありません。
それだけ追いつめられていた、という傷の深さのあらわれなのです。

とくに、きょうだいの不機嫌に家じゅうで振り回されてきた場合は、考えてみてほしいことがあります。

もし、何ひとつされていないのに、あなたが先に「いなくなって欲しい」と願ったのなら、それはあなたの心の問題だったのかもしれません。
でも、実際はそうではなかったのです。

あなたがそう思うよりずっと前から、あなたは少しずつ傷つけられていたのです。
気づかないうちに、長いあいだ。
だから、そう思わざるを得なかった。
それは、原因があってこその、当然の反応だったのです。

ただ、あなたはその「原因」に気づいていませんでした。
直接たたかれたわけでも、ののしられたわけでもなかったから。
だから、自分の中に湧いた「いなくなって欲しい」という気持ちだけが、ぽつんと宙に浮いて見えていた。
原因の見えないその気持ちだけを見つめて、「こんなことを思う私は、なんてひどい人間なんだろう」と、そこだけでずっと自分を裁いてきたのです。

でも、実際は順番が逆だったのです。
あなたがひどい人間だからそう思ったのではなく、先に傷つけられていたから、そう思うしかなかった。
あなたは加害者ではなく、無自覚のうちに傷を抱えさせられていた側だったのです。

親トラウマには「アダルトチルドレン」「毒親」という名前があったから、あなたはそれに気づき、向き合うことができた。
でも、きょうだいからの傷には名前がなかった。
だから、何十年も「自分の性格の問題だ」と思うしかなかったのです。

本当は、自分を責める必要はどこにもなかったのですよ。

気づいた直後に、怒りが湧いてきても、大丈夫です

「これは加害だったのかもしれない」。
そう気づいた瞬間、これまで抑えこんできた怒りが、ぶわっと湧いてくることがあります。

それは、とても自然なことです。
長いあいだ「自分が悪い」と飲みこんできたものが、ようやく正しい向きに動きはじめた合図でもあります。
怒りが湧いてくる自分を、どうか、また責めないであげてください。

あなたが気づいたのは、きょうだいを断罪するためではなく、あなた自身が、自分を許せるようになるためです。

きょうだいや親に、わかってもらおうとしなくて、いい

怒りが湧いてくると、「本人に、ちゃんと伝えたい」「親に、わかってほしい」という気持ちも出てくるかもしれません。
その気持ちは、とても自然です。

ただ、もし伝えにいっても、あなたがいちばんほしい「ごめんね」や「つらかったね」は、返ってこないことが多いのです。
そうしてきた側は、自分が誰かを傷つけてきたという自覚すら、持っていないことが少なくありません。

親に打ち明けても、同じことが起こりがちです。
「きょうだいげんかなんて、どこの家にもある」
「家族なんだから、仲良くしなさい」
そう返されて、わかってもらえないどころか、もう一度傷ついてしまう。

でも、それは、あなたの伝え方が悪いからでも、傷が軽いからでもありません。
親自身も「きょうだいげんかは当たり前」「家族なんだから受け入れて我慢するのが当たり前」という価値観のなかで育ってきたから、それを受け止める「ものさし」を、そもそも持っていないだけなのです。

だから、あなたの回復を、相手の理解や謝罪が得られるかどうかに、ゆだねなくて大丈夫です。
「つらかったね」と言ってあげる相手は、ほかの誰でもなく、あなた自身でいいのですよ。

これから、どうしていけばいいのでしょうか?

じゃあ、「気づいてしまったら、縁を切るしかないの?」
そう不安になったかもしれませんが、出口は、その一択ではありません。
あなたが、あなたの心地よい距離を、自分で選んでいいのです。

そして、いちばん大切なこと。
そのきょうだいを変えることも、その人の機嫌を取りつづけることも、もうあなたの仕事ではありません。
あなたがこれから守りたいのは、あなた自身の心のはずです。
あなたが自分自身を心の底から許すことができたなら、それが最大のゴールです。

ほとりちゃん

ほとりちゃん

気づくのは、誰かを憎むためじゃないんだ。
あなたが、あなた自身を、やっと許してあげるためだよ。

この記事のまとめ

気持ちを吐き出してみませんか?

きょうだいに対してずっと一人で抱えてきた気持ちを、誰かにただ聞いてほしい。
そんなあなたの思いを否定せずに、ちゃんと聴いてくれる場所もありますよ。