「兄弟姉妹に対してこんなふうに思う私はダメな人間だ、と何十年も自分を責めてきた」
「『お姉ちゃんなんだから』と言われ続けて自分の感情を持つことすら贅沢だと思ってきた」
「実家に帰って会うたびに、心がすり減って疲れ果ててしまう」
「『いなくなって欲しい』と思ってしまった自分を、ずっと許せなかった」
もし、こうした気持ちに覚えがあったら、あなたが長年自分を責めてきたのは、あなたが悪かったからではなかったのかもしれません。
この記事では、家族関係のなかでもっとも気づかれにくい加害である「兄弟姉妹間モラハラ」について、心理学の視点からやさしくほどいていきます。
「兄弟姉妹なのに、こう感じる私はおかしい」と思ってきた人へ
兄弟姉妹のなかで、長年、こんな気持ちを抱えてきていませんか?
- 兄弟姉妹なのに、距離を置きたい
- 兄弟姉妹だから、本当は嫌いになりたくないのに、会うと心がすり減る
- 兄弟姉妹なのに、「いなくなって欲しい」と思ってしまった/言ってしまった
そして、そんな自分を、「冷たい」「ダメだ」「ひどい人間だ」と、何年も、何十年も、責めてきたかもしれません。
でも、
もしかしたら、その感情はあなたが冷たかったから生まれたものでも、ひどい人間だから抱いたものでも、ないかもしれません。
持って当然の感情だったとしたら?
この記事は、その気づきまでを、心理学の視点からゆっくりほどいていきます。
読み終えるころには、あなたが何十年も抱えてきた「自分を責める気持ち」が静かにほどけていくかもしれません。
「親との関係には向き合って癒せた。なのに、まだ何かがつらい」と感じる人へ
この記事に辿り着いてここまで読み進めてくれたということは、あなたは、これまでも「家族との問題」についてしっかりと向き合ってきた人かもしれませんね。
たとえば、親との関係を整理してきた人。
機能不全家族・毒親・アダルトチルドレンといった概念に出会って、自分の傷の正体を見つめて癒してきた人。
それでもなぜか……
心の奥に、まだ何か、ほどけきれない傷が残っている気がする。
そんな感覚があるのではないでしょうか。
「親との関係には、ちゃんと向き合った」
「でも、なぜか、まだつらい」
「もう、これ以上何を解いていけばいいのかわからない」
もしもその感覚があるなら、
あなたが向き合ってきた傷の中には、もうひとつの家族の傷が混ざっている可能性があります。
それが、「兄弟姉妹間モラハラの傷」です。
子どもの頃から自然に「家族の一部」として受け入れてきたものが、実は、加害としてあなたを傷つけてきていた。
親の問題と、兄弟姉妹からの加害が、同じ家のなかでずっと絡み合っていた。
だから、親との関係を整理しただけでは、ほどけきれなかった。
アダルトチルドレンの回復は、これまで「親との関係を癒すこと」だと語られてきました。
でも実は、その「親」の影に、もうひとつの傷──兄弟姉妹からの加害が隠れていることも多いのです。
隠れていたのだから、あなたがこれまで気付けなかったとしても当然なのです。
兄弟姉妹間モラハラは、3人に1人が経験している
まず、知ってほしい数字があります。
アメリカでの全国調査(Tuckerらの2013年の研究)では、18歳未満の子どもの約3人に1人(32%)が、前年に兄弟姉妹からの被害を経験していることが報告されています。
これは、親からの虐待や学校でのいじめより、はるかにありふれた数字です。
家族問題の専門研究機関も、「兄弟姉妹間の攻撃は、家族内暴力のなかでもっともありふれた形」と明言しています。
でも、ほとんど語られない
これだけ多くの人が経験しているのに、兄弟姉妹間の加害はほとんど語られません。
「親からの虐待」「夫からのモラハラ」「学校でのいじめ」は、社会的に名前がついて相談先もある。
でも、兄弟姉妹間モラハラには、ちゃんとした名前がついていなくて相談する場所も少ない。
1990年に、心理学者のウィーエが、はじめて「兄弟姉妹間虐待」を体系的に研究した本を出版しました。
そのなかで、彼はこう書いています。
「兄弟姉妹間虐待の症状は、未だに認識されず、その心理的影響は無視されている」
そして、彼がこの言葉を書いてから35年以上が経った今でも、その状況はほとんど変わっていません。
長期的に見ると、その心理的影響は、親からの虐待と同等、あるいはそれ以上であることも複数の研究で示されています。
つまり、兄弟姉妹間モラハラは決して「よくある兄弟喧嘩」などではなく、心に深い傷を残す、家族のなかの加害だったのです。
それなのに……
なぜ、これだけ多くの人が経験しているのに、ほとんどの人が気付けないのでしょうか?
なぜ「兄弟姉妹間モラハラ」は気づきにくいのか
これだけ多くの人が経験しているのに、なぜ、本人ですら気づけないのか。
それは、気づきにくくする3つの仕組みがあるからです。
① 「兄弟喧嘩」として処理されてしまう
子どもの頃から続いてきた関係なので、周りの大人は、これを「兄弟喧嘩」「きょうだい仲が悪いだけ」として処理してしまいます。
「兄弟姉妹なんて、そんなものよ」
「大人になれば仲良くなるから」
「血が繋がってるんだから、大事にしなさい」
そう言われ続けているうちに、本人も「これは喧嘩であって、加害ではない」と信じこんでしまうのです。
もちろん、誰にでも、家族に対して一時的に「嫌い」「離れたい」と思うことはあります。
それは健全な感情の波であり、いつかは通り過ぎていきます。
でも、その感情を、何十年も罪悪感として抱え続けてきたなら。
頻度・継続性・力の非対称・罪悪感の重さ。
それは、ただの兄弟喧嘩とは別物です。
② 「兄弟姉妹の順番」が、呪いになる
日本では特に、長子(特に長女)に「我慢する役」を家族全体で押しつける構造が根強く残っています。
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」
「お姉ちゃんなんだから、妹に譲りなさい」
「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい」
こうして、長子は「自分の感情を持つことすら、贅沢」だと感じるように育っていきます。
そして、下のきょうだいから多少ひどいことをされても、「お姉ちゃんなんだから、我慢して当然」と、自分の感情を押し込めてしまうようになるのです。
逆のパターンもあります。
上のきょうだいが下のきょうだいに対して、「年上だから偉い」「年下は黙って従え」と、年齢差を理由にした特権で支配してくるケースです。
どちらの方向であっても、「兄弟姉妹のなかの順番」が、特権意識を正当化する装置になってしまっているのです。
③ 親の前では、別人になる
兄弟姉妹間モラハラの加害者の多くは、親や周りの大人の前では、完璧な姿を演じていることが多いと言われます。
二人きりになった瞬間にだけ、態度が一変する。
でも、それを親に訴えても、信じてもらえない。
「お姉ちゃんはあんなにしっかりしてるのに、なんでそんなことを言うの?」
「お兄ちゃんはいい子よ。あなたの勘違いじゃない?」
こうして、被害を受けてきた側は、「自分の感覚がおかしいのかもしれない」と二重に苦しむことになるのです。
これは、夫モラハラの「外ではいい人」の構造と、まったく同じです。
④ 「そういう性格だから」と、家族中が受け入れてしまう
兄弟姉妹間モラハラのなかでも、特に気づかれにくいのがサイレントモラハラ系のパターンです。
殴る・蹴る・直接「しね」と言うような、わかりやすい暴力ではありません。
ただ、不機嫌を、家中に撒き散らす。
ちょっとしたことで地雷を踏んだように怒る。
自分の都合に家族みんなが合わせて当然だとふるまう。
結果、その機嫌のよさ・悪さに、家族みんなが振り回される。
このタイプの加害は、まわりに「そういう性格」として受け入れられてしまいます。
「あの子はちょっと気難しいから」
「ちょっと神経質なところがあるけど、悪気はないから」
「機嫌が悪いだけ。性格だからしょうがない」
そう言われ続けるうちに、加害者本人も、親も、被害を受けているあなた自身も、
誰ひとり、それが「加害」だと気づけなくなっているのです。
「そういう性格だからもう仕方ない」
「家族とは、欠点を受け入れて許し合うもの」
それが「普通」になって、あなたは何十年もその機嫌を読みながら生きてきた。
飲み込んで、合わせて、地雷を避けて。
そして気づくと、自分の心の奥に見えない傷が積もっていた。
こんな記憶、心当たりはありませんか?
ここで、兄弟姉妹間モラハラを経験してきた女性たちの、実際の記憶をいくつか並べてみます。
これから並べる記憶のなかに、「あ、わたしにも同じようなことがあった」と感じるものがあるかどうか、確かめてみてください。
家のなかの空気が、いつもその人の機嫌で決まっていた
- 家族みんなが、その人の機嫌をうかがいながら暮らしていた
- 機嫌が悪いサインを察知して、地雷を踏まないように息をひそめていた
- 機嫌のいいときの楽しさと、悪いときの重さの落差で、毎日が振り回されてきた
- 「何回お願いしても、何年経っても、変わらない」と、家族みんなが諦めていた
- 「あの子はそういう性格だから」と、まわりの大人に何度も言われてきた
- いつのまにか、自分の機嫌や気持ちより、その人の機嫌を優先する習慣ができていた
これは、サイレントモラハラと呼ばれる、もっとも気づかれにくいタイプの加害です。
直接の言葉や暴力ではなく、不機嫌そのものを武器にして、家族みんなを支配していく。
「これって、加害なの?」と、戸惑うかもしれません。
そうしている本人も、加害と思ってやってはいないかもしれません。
でも、もし同じことを「親」がやっていたら?
それは「機能不全家族」「毒親」「アダルトチルドレンの原因」として、世のなかでも、ちゃんと「加害」として認識されているはずです。
なのにそれを「兄弟姉妹」がやっていた場合は、なぜか、家族みんなで見過ごしてしまうのです。
でも、家族のひとりの機嫌に何十年も振り回されて自分の心がすり減ってきたなら、
それは確実に、あなたが受けてきた傷です。
子ども時代の記憶から
- 狭い部屋のなかで、意味もなく追いかけ回されて、髪を引っ張られた。「やめて!」と泣き叫んで親に助けを求めても、応じてもらえなかった
- 「友達が来るから」と言って、無理やり外に出され、ドアにチェーンをかけられて、友達が帰るまで家に入れてもらえなかった
- 気に食わないことがあるたびに、リモコンや物を、いきなり投げつけられた
- 自分の部屋に入ったら、下着を入れていたタンスが全部ひっくり返されて、めちゃくちゃになっていた
- こっそりつけていた日記を勝手に読まれて、その内容を細かく指摘されたり、馬鹿にされたりした
- 廊下ですれ違うたびに、両親には聞こえないように、小声で「しね」と言われた
- 親の前では、まったく違う「いい子」だった。だから、親に訴えても、信じてもらえなかった
思春期の記憶から
- 受験勉強をしていたら、「お前はわたしの妹なんだから受かるわけないじゃん。勉強しても無駄」と笑われた
- 友達と一緒にいるところに兄弟姉妹がやってきて、「ブスに無視されるー!」と、友達の前で笑われた
- 容姿や体型を、家のなかで日常的に、笑われ続けた
大人になってからの記憶から
- 大人になっても、まわりに人がいるところで、いきなり因縁をつけられる
- 結婚や引っ越しを機に、「あなたの家に住むから出ていって」など、不当な要求をしてくる
- LINEや家族のグループチャットで、姉からの軽い嘲笑のような言葉が、ちくちくと刺さる
こうした記憶が、ひとつ、ふたつ、あるいはもっと、思い当たったとしたなら、あなたは長年兄弟姉妹間モラハラを受けてきた側だったのです。
「気づけていなかった」だけだったのかもしれない
でも、あなたはその事実に気づけていなかった。
だから、ずっと自分が悪いと思い続けてきたかもしれません。
「自分の要領が悪かったから」
「自分の心が狭かったから」
「兄弟姉妹なんだから、それくらい許して受け入れてあげるべきだったのに」
その自責の根っこには、ひとつの構造があります。
あなたが、自分が被害を受けてきた側だと、気づけていなかった。
ということです。
「いなくなって欲しい」と思ってしまった/言ってしまった、ひどい自分。
「嫌い」と思ってしまった/言ってしまった、ダメな自分。
それだけが、あなたのなかで認識されてきたのではないでしょうか。
だから、責める対象は、あなただけになる。
あなたが、長年見えないかたちの加害を受けてきた側だったこと。
その事実に、あなた自身が気づけていなかっただけのこと。
だから、あなたが何十年も自分にかけてきた「私は冷たい」「私はおかしい」という呪いは、もう、外していいのです。
加害の本質は、生い立ちでも性別でもなく「特権意識」
「じゃあ、なぜ、その兄弟姉妹は加害的にふるまうようになったの?」
そう思ったときに、よく語られるのがこんな話です。
- 「親に厳しく育てられたから」
- 「下の子だから甘やかされて、特権的に育ったから」
- 「機能不全家のなかでストレスを抱えていたから」
たしかに、こうした要素は加害が起きやすい土壌にはなります。
でも、土壌は原因ではありません。
約2000人の加害者と向き合ってきた臨床家、ランディ・バンクロフトは、こう明言しています。
「虐待は、感情ではなく、態度と価値観から育つ」
「根は所有意識、幹は特権意識、枝はコントロール」
つまり、加害の根本にあるのは、「自分には、相手をコントロールする権利がある」と信じる、本人の選んだ態度なのです。
家族のなかで言えば、「家族のなかで、自分には特別な権利がある」という、本人の選んだ態度です。
- 「お姉ちゃんなんだから、わたしのほうが偉い」
- 「下なんだから、わたしの言うことを聞くべき」
- 「家族なんだから、みんなわたしのために動くのが当然」
- 「家族なんだから、これくらい許してくれて当然」
これは、生まれ持った性格でも、生い立ちのせいでもありません。
バンクロフトが、このようにも言っています。
子ども時代の虐待経験は、加害の原因ではない。
虐待された子どもの多くは、非虐待的に育つ。
つまり、その兄弟姉妹がもし子どもの頃に親からつらい思いをさせられていたとしても、それが直接「加害の理由」になるわけではないのです。
本人が選んだ態度なのです。
同じように傷ついても、自分の傷を理由に他人を傷つけない人のほうがずっと多いのです。
「いなくなって欲しい、と思った自分」を、責めなくていい
ここまで読んできて、もしかしたら、こんな感情がじわっと湧いてきているかもしれません。
ああ、あれは加害だったのかもしれない。
わたしは長いあいだ、被害を受けてきた側だったのかもしれない。
そんな相手に対して、わたしが「嫌い」「距離を置きたい」「いなくなって欲しい」と思ってしまったのは、冷たさでも、ひどさでも、自分が未熟だったからでもなく、当然の反応だったのかもしれない。
そうなのです。
被害を受けてきた人が、その相手に対して距離を取りたいと感じる、嫌いになる、「いなくなって欲しい」と思ってしまう。
これは人として、自然な反応です。
むしろ感じないほうが、不自然なのです。
あなたが冷たいわけではありません。
あなたがおかしいわけでもありません。
あなたはただ、長年、加害を受けてきた被害者だった。
そして、その反応として当然の感情を持っただけなのです。
もちろん、誰でも家族にそういう感情を持つことは、一時的にはあるでしょう。
でも、その感情を何十年も罪悪感として抱え続けてきたなら…
それは、ただの感情の波ではなく長年の加害が心に残した傷だった可能性が高いのです。
だから、その感情を抱いた自分を、もう責めなくていいのです。
しおれちゃん
でもね、それは持って当然の感情だったんだよ。
気づくのは、相手を憎むためではなく自分を許すため
ここでもうひとつ、大事なことを伝えさせてください。
この気づきは、その兄弟姉妹を「悪者」にして糾弾するためではありません。
恨み続けるためでもありません。
この気づきは、ただあなた自身を、責めるのをやめ、許してあげるためです。
「兄弟姉妹なのにこんなふうに思う私はダメだ」
「いなくなって欲しい、と思った/言ってしまった私はひどい人間だ」
そう何十年も自分にかけてきた呪いを、そっと、ほどいてあげるため。
いま一番大事なのは、あなたの中で、自分への許しがちゃんと進むことです。
チェックリスト:あなたの記憶に当てはまるか、確かめてみる
ここで改めて、下のチェックリストをやってみてください。
ただし、これは「今、家族にちょっと不満がある」を診断するものではありません。
子どもの頃から何十年も続いてきたこと・自責を抱え続けてきたことを、再確認するためのものです。
それが、兄弟姉妹間モラハラの特徴です。
- ☐ 家族みんなが、その兄弟姉妹の機嫌をうかがいながら暮らしてきた
- ☐ 「不機嫌じゃないときはマシ」「気難しいから仕方ない」「個性だから」と、家族みんなが受け入れていた
- ☐ 直接の暴言や暴力じゃなくても、その人の不機嫌に家族みんなが振り回されてきた
- ☐ 親の前ではいい子で、二人きりになるとその人の態度が一変した経験がある
- ☐ 親に訴えても、信じてもらえなかった
- ☐ 自分の機嫌・気持ちより、その人の機嫌が優先される暮らしが「ふつう」だった
- ☐ 家族のなかで、自分の感情を持つことすら許されなかった
- ☐ 子どもの頃のつらかった記憶が、何十年経っても心の重荷として残っている
- ☐ 「兄弟姉妹なのに、こう感じる私はおかしい」と長年、自分を責めてきた
- ☐ 「いなくなって欲しい」と思ってしまった罪悪感を、何年も抱え続けてきた
もし3つ以上、あるいはもっと、当てはまるものがあったなら。
あなたは長年、兄弟姉妹間モラハラを受けてきた側です。
これから、どうしていけばいい?
気づいたあと、これからの関係をどうするか。
それは、あなたが、あなたのペースで、決めていいものです。
気づいたからといって、急いでなにかを変える必要はありません。
「今は仲良くしている。だから、このままでいい」
「家族の関係は、これからもこのまま続けたい」
そう思うなら、それでもいいのです。
あなたの心が苦しいなら、物理的に離れる選択をしてもいい。
心の中だけで距離を持つようにしてもいい。
どれも正解です。
ただ、あなたの兄弟姉妹がこれから変わるかどうかは、その人自身の問題であり、その人自身が向き合うべきものです。
あなたが背負う必要はありません。
気づかせたり、反省させたりする必要もありません。
大事なのは、関係の形を変えることではなく、あなたの中の「自分を責める気持ち」がほどけていくこと。
「いなくなって欲しい、と思った自分」を、もう責めなくていい。
それさえあなたの中に置けたら、それで十分です。
ほとりちゃん
気づくのは、誰かを憎むためじゃなくて、あなたが、あなた自身を許してあげるためなんだよ。
ここで、重荷を手放していってね。
まとめ
兄弟姉妹間モラハラは、3人に1人が経験している、家族内暴力のもっともありふれた形です。
その心理的影響は、親からの虐待と同等、あるいはそれ以上であることが、複数の研究で示されています。
でも、「兄弟喧嘩」「お姉ちゃんなんだから」として処理されてしまうため、本人ですら、長年気づくことができないのです。
そして、気づけていなかったから、責める対象は自分だけになっていた。
「兄弟姉妹なのに嫌いになる私は冷たい」「いなくなって欲しいと思った/言ってしまった私はひどい」と、何十年もあなたは自分を責めてきたかもしれません。
でも、あなたが感じてきた距離を取りたい・嫌いになる・いなくなって欲しいという気持ちは、長年、加害を受けてきた被害者の、ごく自然な反応でした。
あなたが冷たいわけでも、ひどい人間だったわけでも、ありません。
気づくのは、相手を憎むためでも、糾弾するためでもありません。
あなた自身を、許してあげるためです。
気づいたあとは、距離を取っても、今までどおり付き合っても、好きにしていいのです。